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【中日対訳】小街的青石板(2)-初心联盟日语

全部文章 admin 2017-11-14 120 次浏览
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【中日対訳】小街的青石板(2)-初心联盟日语
小街的青石板(二)
1
不论人们怎么说,但我们街上的孩子童年的欢声笑语委实是青石板给予的。
それはともかく、私たち町の子供の少年時代の喜びは間違いなく石畳みが与えてくれたものだった。
初心微评:这句话的时态「テンス」是“回忆”,用过去时,“不论人们怎么说=不论如何”,“委实=确实”,由于是童年的美好的回忆,所以用恩惠的「くれる」。
2
春天我们在上面用用瓦屑为笔画辰龙寅虎、树木山河,夏天晚上我们坐在青石板上纳凉,青石板渗出丝丝凉意;秋天我们背起书包从青石板上起步求学;冬天青石板上积雪不化,我们在上面堆雪人打雪战。
春、瓦の欠けらを筆としてその上に竜や虎、木や山や川を描き、夏の夜に石畳みで涼しを取り、石から涼しさがにじみ出て来るのだった。秋、ランドセルを背負って石畳みを歩いて学校へ通った。冬、石畳みの雪が解けず、雪だるまを作ったり雪合戦をしたりした。
初心微评:“辰龙寅虎”,直接翻译为“龙和老虎”即可兽性难驯,纳凉→涼しを取り、のだった为名词化+过去,「……たり……たり」用于举例。这一段是典型的排比,且用了大量中顿,翻译时要注重节奏感。
3
而大人们有事无事都爱打青石板上路过,皮鞋走在上面咯咯作响,布鞋走在上面纤尘不染,我想他们纷至沓来或多或少是为了那个“青云直上”的传说吧。
一方、大人たちは特に用がなくても好んで石畳みを歩いた。革靴で踏むと、カタカタと音がし、布靴では埃をかぶることがなかった。彼らが好んで石畳みを歩くのは、多かれ少なかれ例の「青雲の志」の伝説に入ろうとする気持ちがあってのことだろうと想像された。
初心微评:“有事无事→没啥事儿”可以理解为「特に用がない」,“纷至沓来”这里可以变译为“很高兴得来走青石板”白山馆,“为了”在这里表示“有一种……的心情”,“我想”在这里表示一种自发,用“受身”。这句话中文中没有一个句号,所以在翻译到日语时要注意短句。
4
遗憾的是我离开小街五年后,菜子湖泛滥名门媳妇,街上人家为了响应政府号召,忍痛割爱,纷纷将各自门前的青石板掀去围堤筑坝。从此小街人家开门相见亲密无间的青石板桉树专用肥,在人们的心中就这样缘尽散伙了。然而洪水是让沙袋和青石板挡住了,但小街却因青石板的离去而寂寞了一年又一年。
残念なことに、私がこの町を離れて五年後、菜子湖が氾濫し、町の人々は政府の呼びかけに応えて心の痛みをこらえ割愛して、相次いで自分の門前の青石を掘り出し堤防を造るのに使った。その時から、町の人々が門を開くと見えていた、この上もなく親しかった石畳みとは、縁が切れたかのように、別れてしまった。洪水は土壌や青石で食い止められたが、この小さい町は石畳みを失ったことで、一年また一年と寂しい日々を過ごさねばならなかったca1303。
初心微评:“响应政府号召”是个固定表达,“纷纷→接二连三”,“围堤筑坝→修筑堤坝”,远近散伙,梁天云“开门相见”和“亲密无间”是并列修饰语,句式要清楚。这里是“青石板的离去”这里用了拟人手法,翻译时为了保持主谓一致,无法兼顾这种修辞手法,也可以说是一种“不可译性”。
5
八年之后,街上老金家在海外的老二,捐资修建小街路面,于是小街又在轰隆隆的机器声里抖擞起精神,最终街道被抹上了一层厚厚的沙石和柏油,然而往昔的青石板已经是黄鹤一起不复返。而今我走上柏油路上,尽管柏油路是现代文明的象征,但再走,她也走不进我的记忆里!
八年後、町の金家の海外にいる次男坊が、資金を寄付して町の道路を造ることになった。それで町はごうごうたる機械の音の中で元気を出した。最後に通りは厚い砂利とアスファルトに覆われ、昔の石畳みはもはや戻ってくることはなくなった。今、わたしはアスファルト道路を歩いている李意珍。アスファルトは現代文明の象徴だが、その上をいくら歩いても、私の記憶に入ることはない。
初心微评:“抖擞精神→恢复精神”,“抹上→覆盖上”,“黄鹤一去不复返”用了诗句天地奇迹,如果用汉文训读法来翻译的话会显得突兀,直接把“再也回不来”的意思表达出来就好。
原文及翻译来自《汉日翻译技巧与实践》,吴侃编著,初心微评来自初心联盟阳阳
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